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足尾銅山編
 
【「足尾銅山鉱毒事件」の概要】

足尾銅山鉱毒事件とは、栃木県北部の足尾銅山から流れ出た鉱毒が、渡良瀬川沿いの人々の生活に深刻な被害を与えた事件である。「公害の原点」として記憶されるとともに、被害民たちとともに闘った田中正造(衆議院議員、途中で辞職)の姿は、今も私たちに人権や自治の大切さを強く訴えかける。被害の顕在化は1880年代頃。植林・治山事業は現在も続いている。


植林された木々は明らかに低い。手前は「治水」のためのダム。

【レポート】

去る7月最終週の土日に、勤務先の方たちと日光に旅行に行きました。その折りに足尾銅山を訪れました。
当日は良い天気で、緑の山々を抜けていくと、やがて茶色の地面に小さな緑をたたえた山々が見えてきました。その山のひとつのふもとに廃墟と化した精錬所がありました。
川越しに眺めたそこが、今まで残っているのは自戒の念を込めてなのか、単に自治体の予算の都合なのかは、わかりません。

近くに治山事業についての大きな看板がありました。
「栃木県は治山事業に取り組んでいます」……
なぜ治山事業に取り組むことになったのかは書かれていませんでした。

かつて江戸時代から銅の生産地として栄えた足尾銅山は、明治以降殖産興業の一環としてその規模拡大の影響により煙害が発生したり廃液が渡良瀬川に流れ込み、多くの人と自然が犠牲になりました。いわゆる足尾銅山鉱毒事件です。

看板の先にはちょっとした公園風になったところがあり、その片隅にお地蔵さんと鐘がありました。そこにはこう書かれていました。
「この地蔵はかつて松木村にあったものです」……
それがなぜここにあるのかは、触れられていませんでした。
銅山の煙害により廃村に追い込まれたのが松木村です。

足尾銅山観光では、トロッコに乗り、坑道を見学し、銅山の構造と銅の製錬の工程がわかりやすく説明されていましたが、そこには事件のことや田中正造の名前はありませんでした。唯一、年表にその名前がありました。そのあたりは、あくまで授業で学んで下さいということなのでしょうか。

未来に向かって前向きな姿勢を示すことも重要ですが、もう少し、ここで何が起こったのかを伝えても良いのではないのでしょうか。いや、そういうことは、むしろ社会科見学や修学旅行に訪れた子供のほうが敏感に感じているかもしれません。そう思いました。
(T本)

「足尾製練」の工場跡。川岸にそびえ立つ廃墟。

【関連リンク】
田中正造大学
谷中村廃村100年企画/田中正造ドキュメンタリー映画
「赤貧洗うがごとき --- 田中正造と野に叫ぶ人々」公式サイト
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