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都立第五福竜丸展示館編
 
2006年8月22日 Report:I藤
【第五福竜丸・ビキニ事件とは】 (写真をクリックしてみてください 拡大画像が表示されます)


1954年3月1日午前6時45分、 静岡県焼津市のマグロ漁船・第五福竜丸はマーシャル諸島近海のビキニ環礁で、 アメリカによって行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー/BRAVO)に遭遇した。 操業中の乗組員は、西の空が突然明るく輝き、大きな火のかたまりが浮かぶのを目撃した。 数分後、大きな海鳴りを伴なう爆発音が轟いた。 二、三時間たつと空全体を覆った雲から白い灰のようなものが落ちてきて、 次第に雪のように降りそそぎ、甲板に足跡がつくほどに積もった。

実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域外で操業していた。 危険を察知して海域から脱出を計ったが、 数時間に渡って放射性降下物(死の灰)の降灰を受け続けることとなり、船員23名は全員被爆した。 広島・長崎に次ぐ第三の被爆事件となる。 (『写真でたどる第五福竜丸』より一部抜粋)


都立第五福竜丸展示館 (写真をクリックしてみてください 拡大画像が表示されます)

第五福竜丸は、都立夢の島公園内の静かな林の中に眠っています。

この船は、1947年に和歌山県でカツオ漁船として建造され、 その後マグロ漁船に改造され遠洋漁業に従事するようになりました。 1954年被爆後、東京水産大学の練習船として "はやぶさ丸"と改名のうえ使用されましたが、 1967年老朽化のため廃船となりました。 原水爆禁止運動の大きな契機となった証人ともいえるこの船が、 船名も変えられゴミ同然に係留されたまま9年もの間放置されていましたが、 第五福竜丸の保存機運が高まり、 1976年(昭和51年)に東京都が第五福竜丸展示館を建設しました。

【死の灰】

第五福竜丸が遭遇した水爆実験は、 アメリカの重水素化リチウム型水爆の初実験であり、 それは重水素化リチウムを天然ウランで囲んだ構造で「ブラボーショット」と呼ばれます。 広島・長崎級原爆の約1,000倍(TNT火薬20キロトン)の爆発力を持ちます。

当時アメリカが危険水域と指定した区域からおよそ 30キロ離れた位置で操業していた第五福竜丸が、 死の灰を浴び被爆したのは、実験に使われた水爆の爆発力が予測の 3倍を超える規模であったことも要因の一つです。

それは冷戦下、ソ連の水爆に対抗して アメリカが製造開発を急いだ結果巻き起こした被災といわれています。 爆発効率を高めることだけに専念しウランの量を増やした結果、 予定の3倍を超える爆発力も、珊瑚礁の破砕された粉末が放射能を帯びて舞い上がり、 死の灰が膨大な量で拡散することなどすべて計算外であったのではないかということです。 1945年から98年までの間に、アメリカ、ソ連(現ロシア)、 イギリス、フランス、中国、インド、パキスタンの7カ国によって 2,057回もの核実験が行われています。

館内では映画「第五福竜丸」(1958年新藤兼人監督) が上映されていました。 特に印象的だったことは、爆弾の閃光を目撃したときも、 死の灰を浴びたときも、体に変化が現れたときも、 状況がわからない乗組員たちに動揺がなかったことです。 知らされていないということは恐ろしいことだと痛感しました。

【火傷がひどかった増田三次郎さん】

その後、第五福竜丸が水揚げしたマグロなどの水産物が同年 3月15日築地市場へ入荷されました。 当然多量の放射線反応を示したためセリは中止し、 行政の指示により被爆水産物を場内の地中深くに埋めました。 埋めた目印に「原爆マグロ塚」を建てたということでしたが、 95年の都営大江戸線の工事により地下調査を行った結果、 40年という月日が跡形もなく分解をさせたのか、 調査地点を違えたのか、何の骸も発掘されることがなかったということです。 展示館の外で、被爆後亡くなった無線長・久保山愛吉さんの遺碑を見つけました。 碑には、被爆後亡くなった無線長・久保山愛吉さんのことばが刻まれています。


『原水爆の被害者は、私を最後にしてほしい』

(写真をクリックしてみてください 拡大画像が表示されます)

新たな核実験疑惑が取り沙汰される今日ですが、 ビキニ水爆実験被災50周年記念・図録『写真でたどる第五福竜丸』 (財団法人第五福竜丸平和協会)は巻末にこう結んでいます。

『第五福竜丸は航海中です』

戦争による唯一の被爆国であるわが国の船舶が奇しくも第三の被爆事故に遭遇し、 その乗組員が50年を経た現在も闘病が続いています。 被爆による恐怖や不安が巻き起こし、 まさに第五福竜丸の被爆が火ぶたとなり世界に原水爆禁止運動を広めました。 原水爆禁止運動は自らの体験を基に平和の大切さを語る被爆者たちが大切な 「原点」でした。 しかし、核兵器廃絶は実現されてはいません。 一方で被爆者の高齢化と減少が進んでおり、 「あの日」を語る生の声は、徐々に小さくなっています。

第五福竜丸は被爆の証人として航海を続けなければならないのかもしれません。

  • 都立第五福竜丸展示館 開館時間9:30−16:00 入場無料
  • 東京都江東区夢の島3-2 夢の島公園内
  • TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
  • 都立第五福竜丸展示館公式ホームページ
  • 『写真でたどる第五福竜丸』英語版 English translation(リンク手配中)
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