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おとなの社会科見学vol.1「橋のない川」を追って--住井すゑの家・「大地のえくぼ」牛久保に行く--
おとなの社会科見学vol.4
亀戸事件(関東大震災時に起きた虐殺事件)を考える

 
いまから83年前の1923年(大正12年)9月1日に首都東京を襲った未曾有の大地震。その混乱のなか、多くの罪もない人々が殺される事件が起こりました。それが亀戸事件です。2006年最初のおとなの社会科見学は、春の訪れを感じる3月、まずは事件の時代背景を知るために、東京・両国の江戸東京博物館を見学することから始まりました。

日程:3月21日(火)
場所:江戸東京博物館からスタート
スケジュール

9:30 集合(JR総武線 両国駅西口)
10:00〜 江戸東京博物館見学 
12:00〜 昼食
13:00〜 浜林正夫氏(一橋大学名誉教授)によるレクチャー
(江戸東京博物館内・学習室2)
14:30〜 東京都慰霊堂 
16:00〜 亀戸浄心寺(亀戸事件慰霊碑)
17:00   解散

参加者: 10名



■江戸東京博物館■
両国国技館の隣にある大きな建造物の中には、華やかな江戸の文化と東京の歴史を楽しく学び体験できるアミューズメントスペースが広がっていました。





■浜林正夫氏(一橋大学名誉教授)によるレクチャー■


■東京都慰霊堂■
関東大震災、第二次世界大戦時の東京大空襲での身元不明の遺骨を納め、犠牲者の霊を祀る慰霊堂。本堂内には、当時の様子を伝える絵画や写真が並んでいました。




■亀戸浄心寺(亀戸事件慰霊碑)■
JR総武線亀戸駅から徒歩で移動し、亀戸事件で犠牲となった9名の労働運動家の名前が刻まれた慰霊碑が立てられている浄心寺を訪れた。


4回目の大人の社会科見学は盛りだくさんの内容のうちに無事幕を閉じた。

[ 亀戸事件のキーワード]

●関東大震災●
1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分(以下日本時間)に、伊豆大島、相模湾を震源として発生した直下型の大地震(関東地震)による災害である。東京都・神奈川県・千葉県・静岡県の南関東各地を中心に、関東地方の広い範囲に大きな被害をもたらした。
190万人が被災、10万5千人余が死亡(あるいは行方不明)した。建物被害は全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟であった。

●亀戸事件●
1923年9月3日、関東大震災直後の混乱の中で、東京府南葛飾郡亀戸町(現・東京都江東区亀戸)で、社会主義者の河合義虎、平沢計七ら10名が、以前から労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、刺殺された事件。
この事件の事実は発生から1ヶ月以上経過した10月10日になってようやく警察により認められた。犠牲者の遺族や友人、自由法曹団、南葛飾労働協会などが事件の真相を明らかにするため糾弾運動を行なったが、「戒厳令下の適正な軍の行動」であるとし、事件は不問に付された。

●川合義虎(かわい・よしとら)●
大正時代の社会主義者。長野県生まれ。小学校卒業後、日立鉱山の旋盤工となる。1920(大正9年)同士とともに上京する。
1922(大正11年)渡辺政之輔らと南葛労働協会を組織。第1次日本共産党に入党し、1923(大正12年)国際共産青年同盟の支部として日本共産青年同盟を創立し初代委員長となる。
関東大震災直後の混乱に乗じ、習志野騎兵第十三連隊によって亀戸警察署で他の組合運動員らとともに虐殺された。

●南葛労働協会●
1922年10月、東京府下南葛飾郡亀戸町(現江東区)を中心に渡辺政之輔・藤沼栄四郎らが創立した労働組合。広瀬自転車の争議をはじめ,地域の運動に積極的に関与した。その積極性が官憲の憎悪をまねき、1923年9月の関東大震災に際し、川合義虎・吉島吉蔵・山岸実司ら8人の幹部・青年労働者が亀戸警察署内で殺された(亀戸事件)。
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