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おとなの社会科見学vol.1「橋のない川」を追って--住井すゑの家・「大地のえくぼ」牛久保に行く--
おとなの社会科見学vol.5
「丸木美術館再訪」のご案内

日程:2007年12月15日(土)
 
人々からすべてをうばう「戦争」。 平和を願う人々の表現から、 戦争が人々から何をうばい、 何を残すのかを感じてみませんか。

日程:12月15日(土)
場所:埼玉平和資料館からスタート
11:00   集合(東松山駅)
11:20   埼玉平和資料館
(テーマ展「戦時埼玉の食卓」を展示中)
13:00   食事・移動
14:30   丸木美術館「原爆の図」鑑賞
(企画展「日本の報道写真家たち/世界の戦場から」を展示中)
16:30   出発
17:00   解散(東松山駅)

※入場料:埼玉〜100円・丸木美術館 735円
丸木美術館HP
埼玉平和資料館HP

【丸木位里・俊氏 プロフィール】(HPより)
丸木位里 氏
1901年、広島の太田川のほとりの農家の長男として生まれる。
田中頼璋、後に川端龍子らから日本画を学ぶ。
青龍展などに意欲的に出品を続けながら水墨画に抽象的表現を持ち込み、独自の画風を打ち立てる。
戦争前後は戦争に批判的なグループ、美術文化協会、前衛美術会などで日本画の旗手として活躍する。
戦後は現代日本美術展、日本国際美術展などに雄大で繊細な水墨画の発表を続け、从展に毎年、俊との共同制作を出品。
1995年10月19日午前11時15分自宅にて、94歳の生涯を終える。

丸木 俊 氏
1912年、北海道雨龍郡の寺の長女、赤松俊として生まれる。
女子美術専門学校で洋画を学び、二科展に出品する。
戦前はモスクワ、ミクロネシアに長期滞在し、スケッチ多数を描く。
1941年に位里と結婚し、美術文化展、前衛美術展、さらに女流画家協会展に精力的に出品を続ける。
数多くの絵本を手がけ、「日本の伝説」でゴールデンアプル賞、「おしらさま」「つつじのむすめ」「ひろしまのピカ」など民話、創作、記録のあらゆる分野の絵本で数々の賞を受ける。
2000年1月13日、敗血症による多臓器不全のため永眠。87歳。

HuRPが開いている平和ドキュメンタリー映画上映会で上映された「原爆の図」の感想です。

(ハープ通信10月号より)
憲法60年の軌跡を映像で検証!
第3回平和ドキュメンタリー映画上映会

2007年9月22日
 「原爆の図」(1954年、岩崎昶、16分)は、水墨画家の丸木位里(いり)、洋画家の丸木俊(とし)夫妻による作品を紹介した映像です。

  1945年8月6日、原子爆弾が広島に投下され、9日には長崎にも投下されました。死者は20万人にも及びました。原爆投下の3日後、位里氏は故郷である広島に行き、そこで焼け野原が広がるばかりの光景を目の当たりにしました。俊氏は1週間後に広島に行き、ふたりで救援活動を手伝いました。
  それから5年後、『第1部 幽霊』が発表されました。体が焼けただれた人が、列をなしています。やがて力尽き、折り重なるように倒れていく様子を描きました。

  発表後、たいへん大きな反響があり、それが作品を描く力になりました。第2部『火』は地上にある一切のものを飲み尽くした業火を、第3部『水』は水を求めてさまよい、川の水を飲んでバタバタと死んでいく人々を描きました。そして死体の山の中に、生きているのかそうでないのか、救いを求める人の眼が画面に映し出されたときはぞっとしました。 全国各地で展覧会が催され、それがまた反響を呼び、「原爆の図」は32年をかけて、全15部の大作になりました。

  最後の「私たちは広島、長崎で死んだ40万の人間の場面を描かねばならぬ。世界に平和がくるその日まで描き続けたいと思います」という言葉には、原爆で命を奪われた人々と、平和を願う生きている人々の願いが夫妻にのりうつったような感じがしました。
(T本)
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