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『事件、裁判を知るための映像と講演:いま、裁判と人権を考える――55年経ったいま、「白鳥事件」から何を見るか』
谷村正太郎さん 講演要旨

1 白鳥事件と白鳥決定

  白鳥事件は、1952年1月21日、札幌市の路上で、自転車に乗っていた札幌市警の白鳥一雄警備課長が何者かによって拳銃で射殺されたという事件です。約8ヵ月後の10月1日に村上国治さんは逮捕され、別件逮捕を繰り返して、3年間勾留されました。そして1955年8月に殺人罪で起訴されました。
  この事件で、村上さんは殺人に関わる一通の調書も作成されませんでした。警察、検察の追及にもかかわらず、村上さんは否認を貫き、ただの一通の調書もつくられなかったのです。にもかかわらず、裁判では、地裁で無期懲役、高裁で懲役20年、最高裁でも上告は棄却されました。最高裁の決定の日の集会で、村上さんは、「日はまた昇る」、最後までたたかいつづけると訴えました。
  村上さんは1965年11月に再審を請求しましたが、1975年5月20日、最高裁第一小法廷で棄却されてしまいました。しかし、その決定の中には、再審についても「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用される、との見解が含まれることになりました。その結果、それまではほとんど開くことのなかった再審の門が広がり、その後多くの冤罪事件の救済に大きな役割を果たしました。この決定は白鳥決定として今日まで語り継がれることになっています。
  白鳥事件のもっとも大きな特徴は、物的証拠は3発の弾丸しかなく、それ以外は人の言葉、強要された自白による供述であったということです。
  弁護団は、裁判は物証を重視しなければならない、人の言葉は嘘を作り上げることができるが、物は科学的に分析すれば真実を追究することができる、という立場で弁護活動にあたりました。弁護団は3発の弾丸の問題点を徹底的に明らかにしました。


2 支援運動のひろがり
  この事件のもうひとつの特徴は、非常に大きな、村上さんに対する支援運動を伴ったということです。全国各地に村上さんを守る会がたくさんでき、それをまとめる白鳥事件中央対策協議会(白対協)ができました。
  全国で、集会、事件の研究会、署名運動などの活動が行われました。そして、大勢の人にこの事件を知ってもらうための現地調査を行いました。札幌や村上さんのいた網走刑務所に行くために、上野駅から夜行列車で20数時間かけて出かけるわけです。札幌では実行現場や警察など関連場所を調査し、網走では村上さんと面会するという活動を繰り返しました。
  この事件も最初から大きな広がりがあったわけではありません。私が弁護人になった当初は、十人前後の規模での集会でしたが、それがだんだん大きくなっていった。1968年には村上さんに2万通の年賀状が届いたほどです。
  私は、1OO人の人間が全力を尽くしているのでは足りないのであって、100人がいかにして150人になり、200人になるか、広がっていく運動こそが本当の力だと思います。再審署名は、最終的に142万名の方からいただきました。

3 白鳥決定の意義
  結局、最高裁は再審を認めず、私たちにとっては非常に残念なものでした。最高裁は、捜査機関の不正の介在を疑わせる、と述べましたが、疑いは疑いに過ぎない、ほかの供述証拠などをあわせれば、なお村上は再罪だ、というものでした。弁護団が出した声明では、「この決定は、羊頭を掲げて狗肉を売るものだ」、要するに総論は立派だけども、各論はひどいものだと批判しました。後に、この決定は再審裁判に役に立つようになったわけですが、村上さんを支援する多くの人たちの力が一丸となって、はじめてこの決定がうまれたのだと思います。

【谷村正太郎さん(弁護士)】
弁護士になりたての頃、白鳥事件の第1次再審請求の際、弁護団の事務局長をつとめた。著書『再審と鑑定』(日本評論社、2005年)では、そのときの経験が自身の活動にどう結びついたかが語られている。
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