HuRP通信 2022/08/16
ウクライナの戦争について思うこと
ロシア・ウクライナの戦争について短くまとめると雑な論理になってしまいますが、限定的な論点一覧のようなものとして、議論の1つのきっかけとなれれば幸いです。
◆戦争の3つの側面
報道で目にするのは、ロシアとウクライナ両国間の戦争です(露ウ戦争)。国境は両国系の住民が住んでいる帯として捉えるのがロシアの見方といえます。しかし、線である国境は武力で変更するのではなく、住民の意思を踏まえた国家間の合意及び他国の干渉排除という民主主義と自立の原則に則った国際法秩序を確実に形成し、「人間の安全保障」の観念を確固たるものにすることが求められていると思います。
冷戦が終了して軍事同盟は不要になるはずでした。しかし、パックスアングロサクソニカという現実の政治は、軍事力による支配の拡大を止めることなく、NATOの東方拡大を企図し、ロシアもこれを阻止すべく軍事力で対抗しました。この戦争は米ロの代理戦争でもあると思います。2014年のウクライナのマイダン革命とそれ以降のアメリカの介入は、ほとんど報じられていませんがすさまじいものがあります。
露ウ戦争の3つ目の性格は人類を横の関係で見た上下の闘いの側面です。戦争を開始するのは「上」で、犠牲になるのは「下」です。ロシアでもウクライナでも抑圧されながらも「下」による反戦活動がありますが、特にウクライナのそれは全く報道されていません。世界の反戦・非戦の行動の連帯によって人類の愚かな「戦争文化」を変えたいものです。
◆戦争にどう向き合うか
9条の考え方は戦争を予防することこそが最も重要だというものですが、外国軍が侵攻してきてしまった場合、非武装で抵抗するか武器を取って戦うかという深刻な問題があります。今ウクライナでは、従来の非武装抵抗派は、それを貫くシュリアジェンコらと軽武装容認のイリヤらに分裂しましたが相互補完の関係にあります。これを見た日本でも議論が再燃しています。観念論でなく、具体的な戦闘場面に応じたシビアな議論が必要だと思います。
安全保障とは、個々の人間の安全保障であるというのが議論の到達点です。そうだとすれば、露ウ戦争は少しでも早く和平・停戦すべきです。そのためには、停戦を求める世界的な連帯行動が決定的に足りません。
民主主義の時代には、戦争における情報戦の要素が増します。日本のメディアは欧米に比べても情報の規制と歪曲が目立ち、主権者国民は情報奴隷のような存在です。
ロシアが仮に民主主義の国家であったなら、この戦争は起きなかったと評されています。そのロシアは欧米の民主主義をカッコつきのものとして揶揄しています。ウクライナにおける野党の活動禁止、和平・停戦を求める人々の弾圧の報道も皆無ではないでしょうか。ヨーロッパでは「ポストデモクラシー」が大きな問題になって久しくなりました。まして日本では民主主義の形骸化が著しいようです。日本が戦争の当事者にならないためにも、真実を知り活発に議論することが必須だと思います。
(蓼沼)